2014年08月16日

一通の手紙


 15日に速達で一通の手紙が来ました。それは新風舎からでした。
 プロフィールで書いていますが、拙著「里山ーてのりアマガエルと暮らしてー」は新風舎からの出版です。これは新風舎出版大賞に応募して2次審査までは通過した作品でした。何しろ初応募だったので、1次審査通過の知らせが届いた時には小躍りして喜びました。そして2次審査通過の知らせには飛び上がって喜んだものです。結局そこまででしたが。でも出版社から共同出版の話が来た時には心臓がドキドキするほど嬉しかったのです。なんと言っても全て初体験でしたから。これは2004年のことで、今のように新風舎さんのいろいろな話を聞く前のことでした。
 拙著出版のおり、本の形態を決めるにあたり「文庫なら東京の書店にも必ず並び、なおかつ北から南までの新風舎文庫ラックのあるところには全て配本ができる」という話がありましたので、文庫という形態を選んだのですが、蓋を開けてみれば、大阪、神戸、京都などの都会の他は地方ばかりの配本でした。この時のショック、挫折感。私の本は都会の疲れた人や、田舎暮らしに憧れる人たちに読んでもらいたいという夢が壊れました。
 その時につくづく、しみじみ思ったものでした。
 共同出版と言えども所詮は自費出版と変わらない。喜んだ私が馬鹿だった。なんだか騙されたような気もするけど、1冊の本という形になったしと自分を無理やりに納得させたものでした。退職金で家を買い、残り少ない貯金の中からかなりの金額を出したのです。

 本を作る過程の中でも、最初担当になった編集者にも結構えらそうなことも言われました。忘れもしないあの一言「だって僕がすればいい本になるじゃないですか」。
 これって何?いい本を作るために共同出版なのではないの?結局ページレイアウトも全部自分でする羽目になりました。怒りを企画担当者に向けたらその編集者が変わったけれど。さて販売となった時、最初の約束とは違う配本となり、出版の嬉しさはどんどん消えていきました。そういう苦い思いもありながら、本を読んでくださった方から「癒された」「面白かった」「田舎に住もうと思っている人が最初に読む本や」「田舎に住んでいて、田舎を見直せた」など声をいただき、読んでも貰う嬉しさを体験できました。
 でも、都会での配本への思いは残っていました。けれども自分ではどうすることもできません。
 今回報道をにぎわせたということで新風舎の社長から著者の皆様へと手紙がきました。その中に不明な点や質問があれ直接お答えしてまいりますと書いてありましたし、文庫は配本システムを利用してあるとも書いてありました。考えた末、手紙を書いたのです。「なぜ、東京などの都会に配本してもらえなかったのか」と。そしてその回答が来たのです。新風舎の説明では、著者の居住地域によって西日本か東日本のいずれかを中心とした配本になり、配本当時は販売局で著者の意向が通意しておらず、著者の意向が汲めていなかったことへのお詫びと東京を含めた大都会で再営業をかけるというものでした。
 書面を読み、顔がほころんできました。やっと出版の喜びを味わえたような気がしました。とはいえ今となっては古い本です。結果がどうなるかはわからないにしても、思いは叶います。拙著は当地に引っ越してきて経験した「田舎暮らし」の最初の1年間を描いたもので、友人、知人にも都会の書店に置いてこそで、新風舎の配本には不満を持っていてくれていました。私は自分の本が本屋さんに並んでいるのを見てみたかったのですが、それも叶いませんでした。東京の書店で、どうかこの本が置かれますようにと祈る気持ちがいっぱいです。この暑い中、営業に回ってくださるということに感謝の気持ちがおこります。結果は10月に知らせてくださるそうです。
 この一通の手紙で澱になっていたものが溶け出し心が軽くなりました。

Posted by 〆み  at 13:54 │Comments(0)

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