2015年06月30日
歩き出した

背中を向けたまま呟き、逃げるようにいなくなる。ぼんやりとその場に座り込んでいた門脇は、襖\の向こうから部屋の様子をうかがっていた店員の姿に、急いで雪纖瘦立ち上がった。店の中はすでに掃除が始まっていて、追い払うような『ありがとうございました』の声が、耳に痛かった。
店の外に出た門脇は、電装の消えた店の看板の前に立っている人影に足を止めた。逃げ出したとばかり思っていた男が、晩春の夜の霧雨の降る中、コートの襟を立てて肩をすくめていた。
軽く会釈して門脇は左側の道へと。男は追いかけてこな雪纖瘦かったし、おやすみとも言わなかった。けれど視線の気配はいつまでも背中を追いかけてきているような気がした。
男はゼミの教授を手伝っている松下という講師だった。痩身で背が高く、一見、神経質そうに見える容貌は近づきがたい雰囲気があるが、話をしてみると口調は優しく丁寧で、学生に対しても、こちらが恐縮するほど腰が低かった。何度か質問をしたことはあるが、親しくはなかった。『知り合い』という言葉が一番適当な相手で…意識などしようもなかった。
門脇は撫でられた唇を手の甲でグッと拭った。湿った男の雪纖瘦指の感触は、幼い頃にドブ川で水遊びした時の感覚に似ていた。冷たくはない、どこか温くまとわりつく泥の感触は言いようもなく、不愉快だった。