2015年08月16日

ような奇妙な

ような奇妙な

「だいじょうぶだよ。人間は、そんなに簡単に死んだりしないから」
 高梨は小さく笑った。薄暗い部屋で、白目の部分と歯だけが光って見える。
 今まで知らなかっただけで、彼にはSMの趣味があったのだろうか。早苗は、彼の意に添うべきかどうか逡巡《しゆんじゆん》していた。今晩の彼は、何から何まで高壓通渠自分の知っている高梨光宏とはかけ離れていた。
「ぎゅっと引いてくれよ。君の手で。僕を愛してるなら、できるだろう?」
「でも、だからって」
 高梨は早苗に覆い被さり、唇を重ねた。長い接吻《せつぷん》が終わると、高梨は早苗の耳元に口を寄せた。荒い息づかいの中で、囁《ささや》くように言う。
「僕はただ、自分が生きてるってことを実感したいだけだ。そのために、近くに『死』を感じていたいんだよ」

 電話は、またしても保留音に変わった。早苗は受話器を肩に挟んだまま、いらいらして、ボールペンを指先でくるくる回した。
 机の上には、高梨が描いた絵があった。彼がイメージした『天使』の姿が、色鉛筆の繊細なタッチで表現されている。
 天使は本来中性のはずで、中世の絵画などでは少年の姿で表されることが多いが、高梨の天使は、むしろ女性に近いようだった。画面では大勢の天使が輪舞しているが、いずれも長い髪を風になびかせている。
 天使たちの着ているのは、羽衣か寛衣《ローブ》の異国の瘦身装束だった。ギリシャ風なのかもしれないが、早苗の知識では何とも言えない。中の一体の天使は、大きな角笛を捧《ささ》げ持ちながら吹いている。まるで、この世の終わりを告げているかのようだった。
 画面の下の方では、高梨本人とおぼしき人物が、ベッドに横たわって天使たちを見上げていた。その表情は限りなく安らかで、両手は胸の上で組み合わされている。もしかすると、天使が角笛を吹きながら告げに来たのは、彼自身の死なのかもしれない……。
 やっと電話がつながった。
「お待たせしました。教務課です」
「北島と申します。赤松先生とお話ししたいんですが。急用で」
「ただいま、赤松助教授は休暇中です」
「それでは、ご自宅の電話番号を教えていただけませんか?」
「申し訳ありませんが、お教えできないことになっておりまして」
「そうですか」
 早苗は落胆した。しかたがない。
「それでは、またお電話いたします。休暇は、いつまでになってますか?」
 すぐに答えが返ってくると思いきや、相手は答えを躊躇《ためら》っていた。
「こちらでは、わかりかねます」
「休暇の届けが出ているのではないのですか?」
「申し訳ありませんが、そういうご質問にはお答えできません」
「は?」
 いくら尋ねても、相手は同じ答えを繰り返すばかりだった。早苗は狐につままれたような思いで電話を切った。
 彼女が赤松靖助教授に連絡を取ろうと思ったのは、アマゾンでの高梨の様子について聞きたかったのと、探検隊がどうしてカミナワ族から退去を迫られたのか、本当の理由を知りたいと思ったからだった。どうしてそれまで友好的だったカミナワ族が態度を豹変《ひようへん》させたのかは、高梨に聞いても、はかばかしい答えは得られなかった。早苗の勘では、その理由が、現在の高梨の精神状態の謎《なぞ》を解き明かす鍵《かぎ》になるような気がしていた。


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Posted by 〆み  at 12:21 │Comments(0)雪纖瘦

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